2021/09/05 14:05

仏教徒が自らを奮い立たせるために唱える経典がある。「偉大なる人の思考」という。8つの項目で構成され、1番目は「小欲(appiccha)」だ。 「小欲」の文字どおりの意味は「欲が少ないこと」だが、仏陀の定義は異なる。仏陀の定義は、「自分がどれほど精神的に優れていても、それを他人に知られるのを欲しないこと」。
社会では、生きるためにとにかくお金を稼がなくてはならない。同業者が大勢いるから、自社の商品やサービスを懸命にアピールしないとお客が来ない。お客が来なければ、自分や家族の生活が成り立たない。社会にアピールし、社会に認めてもらうことは個人・企業の死活問題だ。市場が成熟化し、商品やサービスの差別化が難しくなっているため、人の認知をコントロールするマーケティングが重宝され、お客が商品を買わずにいられない精神状態を作ろうと、あらゆる方法が駆使される。一般社会の目的は、経済的に豊かになること、ライバルに勝つことだ。競争に勝って自分のアイデンティティを社会に認めてもらうために、自我を張り、エゴイストになる。
物質的な欲が少なくても、「自分を認めてほしい」という強い欲求は、みんなにある。小さい時は親に認めてほしい、成長したら社会に認めてほしい。SNSは、人々の承認欲求を満たす便利なツールだ。大勢の人から「いいね!」をもらうと、脳内から快楽物質が放出されて中毒になる。反対に他者から否定されることには耐え難い苦痛が伴い、生きる気力すら奪われる。仲間からいじめられて自殺する人だっている。他人に、社会に認められたいという気持ちは、「社会は優れた人々の集まりだから、社会様に認めてもらいたい」ということ。その精神状態にいる限り、卓越した人格は築けない。世間の評価を基準にすると、世間のレベルは乗り越えられない。「いいね!が欲しい」というレベルから、何とか向上しなくては。
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
---山本五十六
他方で、他人が自分に対して良い評価をしているなら、自分がそれなりに世間に認められる生き方をしている証拠だ。他人の協力なしには、この社会で生きていられない。世間の幸福を突き詰めると、「良い人間関係」という答えになる。家族がいて楽しい、子供が可愛い、仕事が充実している、良い仲間が大勢いるのだという場合、それは人間関係という幸福だ。仕事がうまくいくことも、商売繁盛も、家庭円満も、学業成就も、健全な人間関係の上に成り立つもの。言い換えれば、「他人に認められる」ということ。だから他人に認められるかどうかは、大事に考えなくてはいけない。他人に認められることは、自分の人格が善であるか、悪であるかがわかるバロメーターなのだ。しかし、他人の目ばかり気にして生きることは、正しい道ではない。常に世間の評価を気にするという間違った生き方は、止めなければならない。
私たちは「有る」世界にいる。有る世界とは、因縁によって現れ、因縁によって変化消滅していく現象の世界だ。一時的な現象の世界を乗り越えて、生きている間に人格を完成することができれば、それこそ偉大なる勝利だと仏陀は説く。仏教徒は、一般社会のレベルに留まって堂々巡りしても成長の見込みがないと理解する。社会から認められても認められなくても、心を清らかにする道を歩むのだと、精神的な自主独立の道に挑戦する。優れた精神状態を築くために努力するが、他人にはまったく知られないようにする。みんなに認めてほしいという自我がない。単に「欲が少ない」というわかりやすいレベルを超える「無我の精神」が、仏陀が定義する「小欲」なのだ。
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