2021/09/08 17:17
失敗者は、失敗者同士で集まってグループをつくる。金持ちは金持ち同士で、喧嘩好きは喧嘩好き同士でグループをつくる。似た者同士で集まるのが心の性質。動物も、似た者同士で同盟を組む。犬を見ても、気に入った犬同士で仲良しグループをつくる。そうさせているのは心の性質。類は友を呼ぶ。心は自然に、自分の性質にあった生命体と仲良しグループをつくる。
しかし、自然な性質のままでは幸福になれない。心は、データが入ると回転する。心にどんなデータが入るかによって、次にどのように回転するかが決まる。人間が成長するには、必ず新しいデータを学ばなければならない。新しいデータを学ぶには、他人とつき合って、他人から影響を受けなければならない。
自分を改良したい、改善したいと願うなら、最も便利で簡単なのは、道徳的で優れた人格の持主とつき合うこと。人格的に卓越した、智慧のある人と仲良くすること。どんな形でもいい。人格者を尊敬し、模範として学ぶこと、親しむことが、成長するためのインスタントな方法だ。人格者に尽くすと、自分の性格がだんだん良くなっていく。良くならないわけにはいかない。それぐらい私たちの心は、他人の影響を受けやすいもの。「人は、いつも周りにいる5人の平均になる」という言葉もある。
まさに今この瞬間も、私たちは、知らず知らずのうちに周りの影響を受けている。だから幸福になりたければ、意図的に、苦労してでも善い人々とつき合えばいい。自分が生まれつき臆病者であろうと、智慧の少ない者であろうと、諦めて不幸になる必要はない。意図的に環境を変えて、善い人々とつき合うように努力する。これが最高の幸福に達するための第一歩になる。誰から影響を受けるべきかについて、仏陀は次のように説く。
愚者たちに親近せず
賢者たちに親近すること
尊敬に値する人々を尊敬すること
これが最上の吉祥です
(スッタニパータ259)
愚者たちに親近せず
人づき合いに失敗すると、人生はすべて失敗する。悪人からとんでもない悪影響を受けたら、心の法則によって悪い結果を招くのは避けられない。心が汚れ、堕落して、悩み苦しむ羽目になる。もともと未熟な私たちは、初めから悪人とはつき合わない方が賢明だ。
賢者たちに親近する
世間には「誰とでも広くつき合うべき」という考えもある。しかし、実際には成り立たない。窃盗や薬物使用などの犯罪に平気で手を染める子どもたちと一緒に我が子が行動するのを認められるだろうか?「善悪をしっかり判断できる人」とつき合うことは、子供でも大人でも、幸福になるための絶対条件になる。避けるべきは、煩悩だらけの愚者・悪人。心清らかで芯が強く、理性的な人が、真につき合うべき賢者だ。善悪をしっかり判断できる人といることで、困難に立ち向かって負けない人間になる。悪いことは悪い、善いことは善いと、しっかり判断できる力が身につく。
ただし、人格がしっかりしている人とつきあうのは難しいのも確かなこと。なぜなら、自分の人格がしっかりしていないからだ。人格を改善して、向上させたいなら、その人と一緒にいられるように自分が頑張って努力しなければいけない。わがまま放題では、普通の友人さえ離れて行くだろう。ここは何としても踏ん張るべきポイントだ。
尊敬に値する人々を尊敬する
たとえ年齢が上でも、犯罪や悪事をはたらく人、だらしない人を尊敬する必要はない。私たちは、尊敬に値する立派な人を模範にしたり、仰ぎ見たりして、その人の生き方・考え方などを真似ればいい。「あの人のような人格になれたらいいな」と憧れてもOK。立派な人であればあるほど、いつも一緒にいることはできないが、その人のことを尊敬を込めて、心の中に常に思うことはできる。すると自分の歩むべき道が見えてくる。初期仏教で「尊敬に値する人」とは、心の汚れをなくした聖者たちのこと。仏陀とその弟子たちのことだ。このような人格者たちを、尊敬を込めて心の中に常に置いておく。一般社会では、道徳を厳密に守っている人、人類に敬われるほどの人格者のことだろう。
もう一歩前進する
嘘をつく人は、嘘をつかない誠実な人とつき合うと、その影響を受けて嘘をつかなくなる。これが心の性質。心の性質を上手に利用して、怠けるのが好きな人は努力する人とつき合うと、能力が向上する。失敗の多い人は、何とか頑張って性格がしっかりした人とつき合うと、失敗の少ない人間になる。心の自然な性質に流されるのではなく、尊敬に値すべき賢者から良い影響を受けて「もう一歩前進する」。
もしも汝が〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得たならば、
あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気を落ち着かせて、彼とともに歩め。
(スッタニパータ45)「ブッダのことば」 中村元 訳
誰と、どのような関わりを持つかで、人生のすべてが決まる。これが仏教の大事なポイント。仏陀は「善友がいること、善友と共にいること、善友とつき合うことが、仏道を完成させる全てである」と説く。優れた人とつき合うことが、優れた人間になる一番の近道。誰とつき合うかは、幸福になるための決定的な条件なのだ。