【ブッダの神髄を伝える】

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2021/09/11 07:47


生きるとは、神秘的な働きではなく、「嫌い」を避けて「好き」を追うという、とても単純な機能だ。そこで、「好き」という感情について詳しく分析して、理解する必要がある。それによって、生きる苦しみを乗り越える方法を発見できるのだ。

「好き」のなかでも、とりわけ性欲は、世間では生命の自然な本能として正当化されている。人間も他の生命も、子孫を残すことに必死だ。仏教では、性欲は妄想の結果から生まれるもので、生存に必要不可欠なものではないという。食欲は満たせないと死ぬので、必ず満たさなくてはならない。しかし性欲は、満たさないからといって命を落とすことはない。なのに性欲が正当化されるのは、さまざまな「好き」の中でも、かなり強烈な刺激を得られるからだ。刺激的な快楽を得られるので、みんな性欲が満たされることを期待する。「子孫を残す」というのも、実は表向きの言い訳に過ぎない。その証拠に、子供を作ることを否定して、恋愛を楽しんで性欲だけ満たしたい人が大勢いる。性欲は生存に欠かせない本能ではなく、贅沢な食事や趣味の音楽と同列の、もう一つの強烈な欲望だ。

刺激を得られるので、人は、恋愛や性行為に強烈に執着する。日常生活から楽しみや充実感を得られない人々は、苦しみのはけ口として性的快楽に依存することもある。あえて妄想を逞しくして、性的に興奮する。愛こそが人生の楽しみ、愛する人がいるから人生の困難を乗り越えられると信じてしまう。しかし、性欲は必ず独占欲を生み出す。独占欲はあらゆる問題、苦しみを引き起こす。欲望の対象を独占するとは、エゴで相手の自由を奪うこと。女は男の自由を奪い、男は女の自由を奪って、当然の結果として喧嘩になる。お互いのエゴがぶつかり合う関係が長持ちすることはない。

智慧と慈しみの世界に入るには、性欲から離れることが条件になる。結婚や性行為を否定するのではない。優れた人格を築くための条件の話だ。仏陀は、性欲は心の成長を妨げ、苦しみに徹底的に依存させると説く。性欲から離れられない精神状態は畜生(動物)と同レベル。性欲にとらわれていると、優れた境地には至れない。性欲で思考すると、相手が世界一完璧な人に見えてしまう。このうえなく美しい、理想的な存在に見えてしまう。相手に束縛され、自分の期待通りに、希望通りに生きることはできなくなる。気づかないうちに、自分が相手の奴隷になっている。渇愛が強烈に増大し、解脱の可能性も消える。

性欲に支配権を握られないようにするために、仏陀は「モノの見方を変えること」を推薦する。性欲があると、あの人は美しい、声が綺麗、笑うと可愛い、癒されるなどと見える。「Love sees no faults.(恋は欠点を見ない)」のことわざどおり、認知が歪んで、相手の足、腰、顔、髪、服装、歩き方、座り方、食べ方など、すべてが美化される。この見方を変えて、性欲の対象の裏も観ることにする。表面的には絶世の美人に見えても、汗をかけば体臭がある、食事をすれば口臭がある、どんなご馳走も口内でたちまち汚物に変化する、垢も糞も出るなど、真実の姿も観る。見方を変えることで、執着を断って完全たる自由に達することができるという。

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