一人ひとりの本心に聞いてみれば、できるだけ道徳をバカにしたいと思っている。しかし、道徳は嫌だという気持ちはあっても、現実に道徳を破ろうという気持ちにはなれない。道徳とは「命の法則」だから。それを守る自由も、破る自由も個人にあるが、法則を破ったら生きる権利を失う。すべての生命は「生き続けたい」という存在欲を持っているので、道徳を破って生きる権利を失いたくない。社会が決めた道徳や、宗教が決めた道徳を、嫌々でも守らなくてはならない。問題は、その状態では、いつまでたっても落ち着かず、不安なままだということ。
理性は情念の奴隷であり、かつ奴隷でのみあるべきであって、情念に仕えるもの。
情念に従う以外の務めを持ってるとは決して主張できない。
---デイヴィッド・ヒューム
道徳を守るには、理性と大脳を使うことだ。その生き方は、脳にとても良い影響を与える。普通の大脳は、原始脳の指令に従う奴隷のような臓器に過ぎない。ところが道徳を守るために、原始脳から現れる感情を抑えるか無視すると、大脳が開発されていく。感情的で本能的な生き方と対立して、世の中のことを理解して正しく判断して生きていくよう努めると、大脳が強くなっていき、原始脳から起こる感情を抑えられるようになるのだ。やがて「道徳的に生きることこそが自然な生き方だ」と理解するところまで、大脳が開発されていく。
「理性を使って」道徳を守れば守るほど、性格は柔軟になり、生き方は楽になっていく。理性を使うことで、ガチガチのモラリストにならずにすむ。死にたくないという恐怖感はあっても、道徳的に生きることで、その恐怖感は気にならなくなり、「いま正しく生きているから、死んでからも良い結果になるに違いない」という確信が生まれる。理性を使って道徳を守ると、人生が変わる。命を生かす権限が、スムーズに、何の対立もなく徐々に大脳へ移るのだ。