【ブッダの神髄を伝える】

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2022/01/21 07:00


身体を効率的に鍛えるためには、科学的な理論とトレーニングが必要だ。がむしゃらにやっても効果は見込めない。心を成長させるにも、正しい理論と方法論がなければ話にならない。
・心の栄養になるものは何か?
・心を衰退させる毒になるものは何か?
・心を運動させて成長させるにはどうすればいいか?
仏陀は、心を成長させる理論と方法を完璧に説く。お金や仕事、食事や娯楽、家族や友人といった外部に依存した幸せは、本当の幸せではない。心を育て、清らかな心で生きることによって幸福が得られると教える。教えを学んで実践するなら、誰でも納得のいく答えを掴むことができる。

生命の心を動かす最も基本的なエネルギーは「無知」だ。私たちは無知のまま、モノを見て、人と喋り、さまざまに判断する。無知の状態で、ありとあらゆる行動をする。アクセルやブレーキの使い方を知らない人が車を運転するようなもので、心とは何か、体とは何か、命とは何かを知らず、無明の闇に覆われて生きている。

私たちには、知らず知らずのうちに犯してしまう過ちがたくさんある。貪瞋痴で行動すること自体が間違いだから、欲や怒りがある限り、私たちは間違いから逃れられない。私たちが輪廻の中で犯してきた過ちというのは、あまりにも膨大だ。過ちを犯すことが当たり前で、犯さない方が不思議なくらい。

人間にとって正しい行動をするのがそれほど難しいなら、成長のために一番必要なことは何だろう? まず、自分が無知であるという事実を理解して、素直に認めることだ。「自分は正しい」「私に間違いはない」と思うことほど、危険で醜いことはない。

「私は正しい」と思うことは、数ある罪の中でも、特に大きな罪になる。そんな態度でいたら、修行が進まないどころか、悟りとは逆方向に進んでしまう。修行して出家までしても、「私は正しい」と思ってしまったら、心はわずかでも成長しなくなる。自分は知っている、という気持ちは、心の成長を止める巨大な山だ。壁どころではなく「山」なのだ。巨大な「無知の山」の向こうに抜けない限り、智慧の道は現れない。愚か者のままで終わってしまう。

だから仏教では、「懺悔」が決して欠かせない。必ず真剣にやらないといけないことになっている。心を込めて懺悔して、自我を捨てる。高慢を捨てる。そうしなければ悟りの道は現れない。「私は、喋ると間違う、行動すると間違う、考えるとまた間違う。そうやって、いつでも限りない過ちを犯している。だから、朝も昼も晩も、何度でも仏法僧に懺悔しないといけない」という気持ちで、正直に、心から懺悔する。すると間違いながらでも、何とかして自分を正そうとするようになる。それが大事な修行になる。

「私は、今のままではダメだ」とわかることが、成長への第一歩。無知を理解し、自分が無知であると自覚することで、「バカの山」を乗り越える生き方に変わっていくのだ。


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