【ブッダの神髄を伝える】

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2021/10/06 08:18


マインドフルネス(気づきの実践)が世界的に流行している。元ネタは、仏陀が説いた涅槃に至る実践(ヴィパッサナー)だが、面白いもので、世間は仏教でなければ有り難がる。グーグルやAppleなどのグローバル企業が社員研修に導入し、国連も在宅ワーク職員向けにマインドフルネスを推奨しているものの、仏道本来の目的である「涅槃」は削除されている。生産性向上やストレス低減といったことを目標にしたら、すぐに心の成長は止まってしまう。人格完成のための道をくだらない目的に流用すると、結局は、人間の成長の邪魔になる。

sati(気づき)とsampajāna(正しい理解)

仏教を学ぶ者は、「人格の完成」という高い目標を掲げて励むべきだ。個々人がどこまで進めるかは、当人の努力次第。人格完成に向かって歩めば、一人ひとりが自分の能力に適した究極の結果に達する。大切なポイントは、気づきの実践によって「区別能力」を育てなくてはいけないということ。ものごとを区別・分別する能力が育つことこそが、仏教でいう「心の成長」なのだ。冥想で何だか気分が良くなっただけではダメ。世間はそこで止まってしまう。

仏陀は、「satiとsampajānaで、時間を過ごすべき」と説く。satiとは、「マインドフルネス・気づき」。sampajānaは、「正知」と訳される。「正しい理解」の意味だ。

気づきを実践している最中に、足が痛くなったとする。そのとき「痛い」と実況中継すると、正しい理解ではない。「痛み」と実況中継すると、正しい理解。食事の冥想のときに「おいしい」と実況中継すると正しい理解でなく、「味」「味わう」と実況中継すると正しい理解。ここが大事な注意点。決して「痛い」「おいしい」という単語を使ってはいけない。必ず「痛み」「味」「味わう」と実況中継する。

なぜ「痛み」「味」「味わう」だと正しい理解になり、「痛い」「おいしい」だと正しい理解にならないか? 「痛みの感覚」「味の感覚」は、誰にとっても同じ普遍的な経験だが、「痛い」「おいしい」は、生命によって異なるからだ。主観的な判断が入っているからだ。

誰かに拳で殴られたとする。同じパンチであれば、素人にもプロボクサーにも「痛みの感覚」が生まれる。感覚が生まれるところまではみんな同じ。その感覚を「痛い」と認識するかどうかは、人によってバラバラだろう。プロボクサーであれば、日常茶飯事だから痛みの感覚があっても大したことはない。経験のない素人なら、KOされたうえに病院に運ばれるかもしれない。このように「痛い」とみるのは個人の勝手な理解で、「痛み」とみると生命に普遍的な見方になる。気づきを実践する場合は、正しい理解が現れるように、厳密な実践方法が説かれている。

たとえば、自動車を運転するときに気づきの実践はできない。「はい、ブレーキをかけます」などと実況中継していたら、事故って死んでしまう。自動車を運転する時にあるのは、正しい理解だ。ドライバーは周りの状況を知っていて、運転している車のスピードや、他の車のスピードなども見事に知っていて、道路の状況も知っていて、がんばらなくても手足が動いてしまう。考えなくても、危険なときはパッとブレーキに足がいく。正しい理解があれば、運転中に間違いは起きない。正しい理解がなくなったら、もう途端に事故を起こしてしまう。そのように歩くときは、しっかり知って歩く。後ずさるときでも、よく知って後ずさる。

「ジャガイモの皮をむきます」という実況中継は、やりづらいし面白くもない。正しい理解は生まれにくい。けれど「むく」「押す」「まわす」と動詞だけで実況中継すると面白くなる。「取る」「離す」「押す」「引く」など、いくつかの単語だけで全部できる。動詞の単語だけに絞って実況中継してみると、ものごとの本当の姿が見えてくる。今まで見ていたこの世界が幻覚だったとわかる。精進料理を作るとか、ビーフシチューを作るなどといっても、実際にしているのは、ただ「引く」「押す」「回す」というくらいのこと。何をするにしても、それでできてしまう。天下を取っているアメリカ大統領にしても、何のことはない。ただ「引く」「押す」「回す」…単純な行為の繰り返しで仕事しているのだと、正しい理解が生まれてくる。幻覚が破れて本当の世界が観えてくる。 

気づきは、私たちを守ってくれる。気づきは、「普遍の法」という馬車を操る馭者に譬えられる。気づきによって対象に心が集まり、正しい理解によって余計なもの(主観的な判断)が切り離される。気づきと正しい理解が、仏教の冥想の神髄だ。

Peace is realized when we are mindful in each and every step.
Through mindfulness, we can protect ourselves, and we also protect the whole world.

私たちが気づきを保ちながら一歩ずつ歩むとき、平和は実現する。気づきによって私たちは自らを守り、そして世界全体をも守るのだ。


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