【ブッダの神髄を伝える】

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2021/10/15 10:17


世界的に広まったマインドフルネスの元ネタは、仏教の実践(八正道)の一つである「気づき(サティ、正念)」。ただ、中身を見ると、理論面でも実践面でも仏教とは比べものにならない。

一番の本質的な違いは、実践の目的にある。マインドフルネスのテーマは「いかに生き延びるか」。そのための手段として「今ここ」に集中することが強調される。仏教の目的は、生を脱出することだ。仏陀は、正念について、このように説く。「人間のすべての憂いや悲しみ、悩みをなくしたいと願うなら、実行してください。生きとし生けるものすべての清らかな心をつくるため、すなわち解脱するために、なさってください。涅槃の道に入りたいなら、これしか実践方法はないのです。涅槃・解脱に至るためには、ずっとこの一つの道しかないのです」

執着は、心を束縛する。執着を捨てれば、自由になる。私たちは、本物の自由を経験したことがない。本物の自由を知らない私たちは、自由な心の状態を学ぼうと思っても、すぐには理解できない。執着を捨てるとは、自分の家に溢れているモノをまとめて捨てるような単純作業ではなく、順番に、段階的に進めていくもの。自分の心の中を深く点検し、いろんな種類の執着があることに徐々に気づき、捨てていく作業だ。

私は幸福ですか?

① 心に湧いてくる悪感情
幸福を目指す人に最初に立ちはだかるのが、怒り、嫉妬、憎しみ、傲慢、見栄などのさまざまな悪感情(煩悩)。落ち込み、混乱、興奮、ワガママなどもある。これらの悪感情は、人生のあらゆる場面で湧いてきて、不幸をもたらす。大切なのは、これらの悪感情を無理になくそうとしないこと。打ち勝ってやるぞと勢い込んで努力するのではなく、心に現れた感情に淡々とチェックを入れる。「今、怒りが起きた」「今、欲が起きた」「今、嫉妬の気持ちがある」「今、落ち込んでいる」など、ただ淡々とチェックを入れることに専念する。

②「今、私は幸福ですか?」とチェックを入れる
たとえば、怒りが込み上げてきて「今、怒りがある」と第1のチェックを入れる。次に「今、私は幸福?」「この状態は楽しい?」「安らぎを感じている?」と、自分に問いかける。すると自分の心を観察した結果、「今、私は幸福でない」「これは楽しくない」「全然、安らぎを感じていない」という現実を発見する。そこで「今、幸福でない」と、更にチェックを入れる。無理に余計な工夫をして、不自然に幸福感を作る必要はない。心を素直に観察するのが最も大切だ。

道を歩いていると、綺麗な女性を見かけて、欲が生まれた。「今、欲がある」と第1のチェックを入れる。次に「今、私は楽しい?」と自分の心に問いかける。自分の心を客観的に観察すると、欲望に燃えて安らぎを失っていると発見する。その事実にもチェックを入れる。これで、燃え盛ろうとしていた欲望の火が消える。たとえ完全に消えなくても、気にせずチェックを入れ続ける。繰り返し実践することで、心を客観的に見られるようになり、心を安穏にする術が徐々に身につく。

③ 注意点
心に欲望の火の手が上がって第1のチェックを入れた後、「今、私は楽しい?」と自問したときに、「楽しいです!」と心が答えるなら、成長の見込みはゼロ。「欲望の限りを尽くして何が悪い!」という価値観のままでは、仏道は歩めない。何十年修行しても、何も得られない。最低限、貪瞋痴の恐ろしさぐらいは学んでおく必要がある。

道が現れる

チェック作業を繰り返していくと、人は、正しく生きる道を発見していく。智慧は一歩ずつ育つもの。一足飛びにはいかないが、「私は幸福になる」と決め、自分の心を観察するというチェック作業を始めれば、その瞬間から人は幸福の道を歩んでいる。実践するたびに充実感と幸福感を感じられる。やがて、煩悩を中心にする世間の生き方では一向に幸せにならないことも理解できるようになる。怒り・嫉妬・憎しみの悪感情に負ける人間が、殺生したり、嘘をついたり、悪口を言ったりする。それによって不幸から不幸へ、暗闇から暗闇へ進むのだとわかる。感情と行為の関係が見えてくる。このような発見を智慧という。

生命の幸せを願うとき、苦しんでいる生命のことを心配するとき、「今、私は幸せ?」と質問すると、間違いなく幸せだと発見できる。他人のことを心配すると、心配する本人が幸せを感じられる。「人を助けたい気持ち」になっているとき、とっくに自分が幸せを感じている。「今、私は幸せですか?」と自問して、「はい、幸せです」とチェックを入れよう。このようにして、正しい行為とは何か、間違った行為とは何かが自分自身でわかるようになる。自分自身の力で「これは善いこと、これは悪いこと」と発見できるようになる。仏教からみれば凄い智慧だ。

さらに凄いのは、自分の幸福のためにチェック作業を行っているだけなのに、周りの人々も幸福や安らぎを感じ始めること。不思議なことに、自利の行為が、利他の結果も招く。大乗仏教では、自利の修行より、社会のための利他行為の方が優れているとして二つを区別する。しかし、仏陀本来の実践方法に、自利と利他という分け方は存在しない。自利は利他になるし、利他は自利になるからだ。ただ自分の心にチェックを入れて、自問自答する作業を続けていく。「自分が幸せになること、心の安穏に達すること」を生きる目的に決めてしまえば、見事に、自分だけではなく周りも幸せになっていく。その事実を発見した人に、しっかりとした、揺るぎのない自信と明るさがついてくる。


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