【ブッダの神髄を伝える】

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2022/01/25 22:35


お正月の風物詩といえば、一つは箱根駅伝。小さな子供からお年寄りまで、大勢の老若男女が沿道から旗を振りながら、大きな声で選手たちを応援する。なぜ人は「がんばれ、がんばれ」と応援するのだろう? 「みんなの応援があったから良い結果を出せました」と感謝する選手たちもいる。

仏道は完全無欠の道だと、仏陀は強調する。実践する人々は、間もないうちに一切の煩悩を滅し、解脱に達するのだと保証する。ならば、仏弟子は全員、解脱に達するはずだ。しかし、現実はそうではない。修行方法は完全でも、中途半端で生半可な気持ちで実践するなら大果には至らない、とも説かれている。

ここで、人間の弱さの一つが見えてくる。やる気・意欲があっても、持続するのは難しいのだ。どうしても気が緩んでしまう。すると期待する結果は得られなくなる。誰にでもある弱みだ。他人に応援してもらうこと、励ましてもらうことは、世間では良いとされているが、実は他人に依存していることになる。本物の人なら、励ましがあってもなくても、精一杯努力して成功を収めるだろう。

応援されることで少しでも優勝の可能性が高くなるなら、応援はあった方がいい、という世間の理論は、仏道には適用できない。修行者を一生懸命応援してあげると、ストレスになったり、緊張してしまって、心の統一に達しないことがある。解脱とは、心が完全に自由な境地に達することでもある。自由は依存で成り立つものではなく、依存や束縛を断つことで成り立つもの。だから、解脱に達する意欲を持続してもらうために応援することは、逆効果になってしまう。

仏陀は、弟子たちを厳しく励ましている。仏教の励ましの言葉は、「頑張れ、頑張れ、あなたならできる」などとはニュアンスが違う。「明日は死なない、という保証はない。今、なすべきことを完了しなさい」が、仏教の励ましの言葉の一つ。次のようなアドバイスもある。

Kayirā ce kayirāthenaṃ
daḷhamenaṃ parakkame
Sithilo hi paribbājo  
bhiyyo ākirate rajaṃ.


何かを為そうとするなら 
断固として不撓不屈の精神で行う
締まりのない修行では 
汚れが増えるだけである
(ダンマパダ313)

これは期待する目的に必ず達するための戒めだ。人の意欲は、簡単に下がるもの。常に自分自身で自分を励まして、奮い立たせなくてはならない。たとえ善い、正しい道でも、生半可な気持ちで実行しては目標には到達できない。仏道は、不撓不屈の精神を持って修行を貫く道。絶えることのない大小さまざまなトラブルや問題に耐えて、理性的な努力を着実に積み重ねる。仏道に励む人々は、徹底的に不撓不屈の精神で、結果が出るまで修行を貫くのだ。


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