2021/07/15 06:28
コロナウイルスによる環境変化は、私生活においては災いではなく、僥倖だった。仕事以外の自由な時間ができたことで、心の余裕が生まれ、仏教を勉強して実践する時間が増えた。毎週、Youtubeで法話を聴くのが習慣となり、車で移動するときもスマホで法話を聴くようになった。膨大に語られた法話テキストを読み返して、SNSで仏教について発信することも始めた。その過程で、あらためてスマナサーラ先生の人間業ではない仕事の質と量に圧倒されている。また、慈悲の冥想にも毎日積極的に取り組むようになり、ネガティブな悪感情を慈悲喜捨という良薬によって解毒し、心の中に慈悲喜捨のエネルギーを貯めることを楽しんでいる。
空気と空気が何の対立もなく一体になるように、
私の慈しみの気持ちが、全ての生命のこころと一体になりますように。
水と水が何の対立もなく一体になるように、
私の慈しみの気持ちが、全ての生命のこころと一体になりますように。
太陽の光が、地球の隅から隅まで照らすように、
私の慈しみの光が、全ての生命のこころをさまたげ無く照らせるように、
制限無く、慈しみを育みます。
東・西・南・北・上・下という六方に住む生命に対して、
無限に、とどまること無く、慈しみを育みます。
慈悲の瞑想の影響だろうか、肉体にも変化が現れ、長年機能していなかった左半身の骨や筋肉が機能するようになった。人から見ればどうでもいい変化だが、たとえば左の肩甲骨がグリグリ動くようになり(笑)、身体の左右のアンバランスが解消された。左腕を使うときに左の肩甲骨が全然働いていなかったことを自覚した。コロナ以前は身体の左右のアンバランスを何となく感じていたものの、左半身が思い通りに動いてくれず、冥想中にも左右のアンバランスが気になることがあったが、どうにもならず諦めていた。その長年の悩みが解消されたことで、より深く集中できるようになり、自分という存在は、無数の生命の中の一匹であること、大海の一滴のようなもので、特別な存在ではないことがとわかってきた。とても嬉しい。
お釈迦様が仰るとおり、心が汚れていれば、どこにいても争いが起きる。心が苦しめば、どこにいても苦しい世界。人間関係もトラブル続きになる。逆に、心が清らかであれば、どこにいても安らかな世界になる。優しい慈しみの心があれば、すべては清らかになり、トラブルと見えていたものがトラブルでなくなる。慈悲を携帯すると「自分」という我が消えていき、苦しみが減っていくことを、まさに実感している。