【ブッダの神髄を伝える】

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2021/09/21 12:31


どんな対策を講じても解決しない問題は、見解の相違から生まれる。真理でないと、自分の主観というものが必ず入り込んで、いろいろ違う意見が多数出てくる。私もあなたも、自分の意見を正しいと思っているから、たった数人の集まりでもぶつかり合う。家庭で、職場で、学校で、仲間とのつき合いで。自分の意見を批判されたり否定されたりすると、立場を守るために固執してしまう。意見を戦わすつもりはなくても、何かのきっかけで否定されると、傷ついたり腹が立ったりして言い返してしまう。怒り、落ち込み、恨み、悩みなどの暗い感情が生まれる。

意見とは、自分なりのモノの見方、考え方のこと。世の中のいろんな情報は、常に自分の中に入ってくる。それを脳が勝手にまとめて「自分の意見」を作り出す。意見への執着は、物への執着より遥かに強い。「意見=自分」という気持ちがあるからだ。物に対して、これが自分自身だと執着する人は少ないが、生き方や仕事の企画についての意見になると、全人格と等しいほど執着する人は大勢いる。そうした意見と意見がぶつかり合うと、激しいバトルになる。宗教戦争や国家間戦争は、その最たるもの。すべて、自らの意見・見解に固執するから生まれた悲劇。世界にあるのは意見のぶつかり合い、見解のぶつかり合いなのだ。

私たちに身近な兄弟・親子・夫婦の喧嘩から世界の戦争まで、人間の争いは、意見の相違と意見への執着から生まれる。見解をどれほど出しても、必ず反論が成り立つ。どんなことでも他人が強引に意見を通すと、自分の権利が潰されたように感じて、悔しい思いをする。世界戦争にまで広がり得る、危険な働きだ。社会にはいろいろな考え方があってよいと思っている人でも、実際には違う意見を放っておけない。結局は口先だけ。自分の子供でさえ、違う意見を持っていると腹が立つ。

自分の意見・見解に執着していると、反対する人に攻撃的になって、怒りに燃える。怒りで目が曇っていると、相手の指摘に素直に耳を傾けられなくなる。周りが見えなくなり、視野が狭くなる。自分の狭い世界に閉じこもることになる。こんな状態では、この世の真実を見よう、学ぼうという姿勢を失ってしまう。だから、「自分の意見」は捨ててしまおう。いつでもバッサリ捨てられるように、心を柔軟にしておこう。

世間では、意見をコロコロ変えることを良しとしない風潮もある。しかし意見とは、日々変わるものなのだ。今日話した人の意見が正しいと判断できたので、それを取り入れて間違っていた自分の意見を捨てた。新しい情報を取り入れるたびに、サッサと更新するのはいいことだ。何の問題もない。

「自分の意見は正しいから変える必要はない」と、いつまでも考えている人は、単に世間を知らない無知。「本当に正しいだろうか?」と自分を省みない人は、傲慢。「自分には意見がある。しかし、正しいわけではない」といつでも意識しておこう。どんどん意見を交換し、情報を収集して、新しく生まれた意見を吟味する。より正しいと思えるものを見つけたら、ためらわずに入れ替える。日々、正しいと思える意見に更新していくことが、真理を求めるための唯一の道だ。

些細なことで喧嘩する親子に、地球は丸いか三角かと聞けば、その点では喧嘩しない。二人そろって丸いと言うだろう。それが真理だ。つまり真理を知れば、平安と平和が訪れる。真理を知れば、あらゆる戦い、諍いが消えてしまう。もし平和になりたければ、幸福になりたければ、苦しみから脱出したければ、悩んだり落ち込んだりしたくなければ、たった一つ、真理を知りなさいと仏陀は説いた。真理には異論も争論も成り立たない。真理を知って初めて、人間が和合を知る。競争が消える。心に平安が生まれるのだ。


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