2021/09/13 10:14

猫には猫の、犬には犬の苦しみがある。金持ちには金持ちの、スターにはスターの苦しみがある。野生の動物には野生の苦しみがあり、人間から美味しい餌をもらう動物には、人に飼われる苦しみがある。たとえ神になったところで、神には神の苦しみがあるだろう。仏教は、この世で苦しみを乗り越えるべきだと説く。ところが人間は、生きる苦しみは何とか変えられると固く信じている。私たちは生まれてから死ぬまで、何をやっているのかといえば、生きる苦しみを変えるために必死になって努力しているのだ。勉強したり、仕事したり、金儲けしたり、運動したり、娯楽を楽しんだり。頑張れば、苦が楽に変わると信じている。それが大きな勘違いだ。
実際には、苦が楽に変わるのではない。今ある苦が、別の苦に置き変わるだけ。「仕事がない」という苦しみを感じる人に仕事を与えたら、仕事がない苦しみが消える代わりに、「仕事をする」という苦しみが生まれる。今の苦しみがなくなることを、人間は「楽」と解釈する。座るのが苦しくなって、立ってみる。確かに「楽」を感じる。座る苦しみが消えたからだ。しかし立ち続けると、苦を感じて、また座る。喉が渇いて苦しいので、水を飲む。確かに「楽」を感じる。渇きの苦しみが消えたからだ。しかし実は、楽が生まれたわけではない。水を飲むことも、楽ではなく、苦なのだ。水を飲み続ければ簡単に分かる。ひとつの苦が消えて、新たな苦が生まれる瞬間が、人間にとっての「楽」。今ある苦が、別の苦に転換する瞬間だ。
世間でいう「幸せ」とは、ある苦しみが一瞬消えたように見えた状態のことを言っているのであって、絶対的な幸せなどというものはどこにもない。この事実に、仏教以外、誰も気づかない。絶対的な楽があると勘違いして、生きることの中で何としても楽になりたいと頑張っている。しかし、楽をめがけて頑張れば頑張るほど、苦は増す。だからといって頑張らずにそのままでいれば楽かというと、まったく違う。何もしないでいると、何もしない苦しみも耐えがたいものになる。どう頑張っても苦はそのままで、楽に転換することはできない。人間は、「人生には楽がある」「この素晴らしき世界」という錯覚を持って、努力して苦しみを増やしているのだ。
I see skies of blue
And clouds of white
The bright blessed day
The dark sacred night
And I think to myself
What a wonderful world
青い空が見える
白い雲も
輝き祝福された日
暗く神聖な夜
ひとり思う
なんて素晴らしい世界だ
みんな、生きることのなかで楽になろうと必死に探求している。すべての生命が必死に楽を探求しているという事実が、「生きることは苦」の明らかな証明だ。まずは生きることの中に本当に楽があるのか否か、調べて試してみなくてはいけない。科学者は、科学的な真理を発見して、新たなプロダクトを発明する。それで今の苦しみは消えるが、代わりに別の苦しみが現れる。原発によって安価に大量のエネルギーが得られる一方、事故処理に莫大なお金がかかり、汚染による負の遺産を残す。人を不幸に陥れるために原発を作ったわけではないが、人間の手に負えない苦しみが生まれるのは避けられない。
誰にも悪気はない。ただ、決まって結果が悪化していくだけ。善意でやったことの結果が最悪なら、その善意を疑うべきだろう。その思考を疑うべきだろう。私たちは、「生きることの中に楽がある」と勘違いしているのだ。この勘違いのせいで、どこまで努力しても苦が増えるだけになってしまう。患者を治すつもりで薬だと思って何か飲ませる。すると病気が悪化して、患者は死ぬか、死ぬほどの苦しみを味わう。薬を飲ませた医者は立派だろうか? 悪気はなかったから責任はないだろうか? 違う。その医者は紛れもなく無知だ。無知のせいで間違ってしまったのだ。「生きることの中に楽がある」という勘違いも、仏陀は無知だと説いている。
心を育てる本屋さん