【ブッダの神髄を伝える】

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2021/09/04 09:29


ダーウィンは、「なぜ生命は進化するのか?」という問いに、「環境に適応するため」と結論を出した。物質的な身体は、環境に適応すべく長い時間をかけて進化してきたが、環境が悪化しなければ、適応という問題は起きない。生命の身体の進化を見るとき、欠かせない条件は「適応能力」と「悪環境」だ。適応できる能力と環境の悪化、この2つによって生命の身体は進化する。ところが、私たちは進化の法則とは逆のことを期待している。いつでも「良い環境が欲しい」と願っている。そして良い環境に安住すると、適応能力が働かなくなって衰える。サボるからだ。生命の進化に不可欠な適応能力を衰えさせないためには、ある程度、悪い環境の方が望ましい。

たとえば、職場の同僚がすごくワガママで、わからず屋で頑固なら、もう嫌だと思うだろう。本当は、これが良い。適応能力が働かざるを得ないからだ。反対に、何でもスムーズに円満に進み、「いいお天気ですね」「お元気ですか?」などとマンネリの環境で生きていると、適応する能力は確実に退化する。政治の世界でも、独裁政権は長続きしない。政敵を片っ端から潰して、恐怖によって国を管理しても、自ら腐敗して、あっけなく崩壊する。やはり適応能力の問題だ。大した苦労のない環境では、人間は楽をして怠ける。進化が止まり、退化してしまう。政権を取ってもライバルがいて、いろんな意見の反対勢力がいる場合は、逆に、その緊張感によって政権が保たれる。批判する野党の存在がなければ、国は亡びる。

個人的にも社会的にも、私たちが間違えてしまうのは、良い環境・楽な環境を探し求めるから。怠けたいのだ。だから、いつでも「どう適応しようか」と頭をひねっている方が、かえって良い。かつて人類は狩りをして暮らしており、獲物を捕れないと生きていけなかった。現代では、お金がないと生きていけない。24時間営業のコンビニが開いていても、手持ちのお金がなければ何も買えない。就職しても、経済状況は日々変動するので、お金を貰い続けられるかどうかもわからない。企業は企業で、生き残りをかけて必死の戦いを繰り広げている。生きるとは、ラクな作業ではなく、千尋の谷を渡る綱渡りだ。この現実は原始時代から変化することなく、現代まで脈々と受け継がれている。かつての「森に入ると獲物を捕れるか、獲物になるか」の真剣勝負は、私たちの競争社会と何ら変わりない。私たちは安定社会を築こうとはしているが、「結果は生き残れるか、脱落してしまうか、どちらかだ」という観点で見れば、今日まで人間の生き方は本質的に変えられなかったわけだ。

人類は、そもそもの初めから綱渡りで生きている。原始人から現代人に至るまで、みんな細い綱の上に立っていて、この状況は将来も変わらない。それがわかっていれば、突然、追い込まれることもないし、「こんなはずではなかった」と嘆くこともない。人を危険な状況に追い込むのは、空虚な安心感だ。生きることは幸福に満ちたものだと自己暗示をかけて、謙虚に、熱心に勉強する意識・意欲を持たなければ、いつかは環境から排除されてしまう。厳しくても、それが現実。人生には安心感がない方が良い。「どう対応するか」「どう適応するか」と常に考えることで、私たちは肉体的にも、精神的にも進化できる。不安に耐えられる、強い精神を育てることができる。


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