2021/09/16 19:45
私は、他人に負担をかけて生きているんじゃない? そんな風に悩んでいる人は、すでに周囲に大きな負担をかけていると思った方がいい。人間は、周りに負担をかけずには生きられない生き物。生きることそのものが地球に負担をかける行為だ。私たちが自分以外のものに負担をかけているのは当然のことで、その自覚が生まれたら、周りにかかっている負担を少しでも減らすよう努力すればいい。
たとえば赤ちゃんは、ママに大変な負担をかけている。ママがどんなに疲れてもお構いなしに、オムツを汚すわ、洗濯ものは大量に出すわ、何時間も泣き続けるわ、オッパイをあげなきゃいけないわで、ママは大忙しだ。でも、赤ちゃんは、完全に寄生しているわけではない。オッパイを飲んでお腹一杯になると、笑い声をあげてママの髪の毛を引っ張ったり、歯のない口で無邪気にニコッと笑ったりする。ママは喜んで、赤ちゃんを慈しむ。それで疲れは吹き飛ぶのだ。赤ちゃんでさえ、ちゃんと自分なりにママに貢献しているということ。
それが大人になってくると、親の世話になるばかりで、子供は親に何も返してあげられなくなる。だから子供には、小学生の頃からお手伝いなど他人の役に立つことを教えた方がいい。そうしないと、今の日本の教育システムでは、学校に行くとすべて学校の中で完結してしまい、社会人として学ぶことができなくなる。高校に入ったら、大学に入ったら....と、人にしてもらうことばかり覚えて、自発的に学ぶことができなくなってしまう。自分でやることを見つけるための躾や訓練を受けていないことが、今の教育や社会における大きな問題だ。
子供は全部大人がやってくれるものだと思ってしまうから、成長しても仕事をしたがらなかったり、家に引きこもったりするのだ。本人は仕事をしたいという気持ちを持っていても、長年のクセで、なかなか体が動かないのかもしれない。しかし一回やってみれば、意欲は出てくるし、人生は、やってみれば何だってできるものだ。だから人への感謝を持って、自分からできることは先に進んでやってみること。その行為は誰かの役に立つかもしれない。それで他人にかかる負担を軽減すればいい。
「私なんか、人から必要とされていないのでは? いなくてもいいんじゃない?」と不安を感じて、悩む人もいる。こういう人は、おそらく怠け者だ。もし本当に必要とされていないと自覚すれば、ウジウジ悩むより先に、自分の能力開発に励んだり、自発的に人を助けたりして、忙しいはずだから。周りから必要とされないことが不安なら、必要とされる人間になればいいだけ。とてもシンプルだ。人間の能力とは、目的・対象をどう設定するかで、伸びたり伸びなかったりする。誰かの役に立ちたい、生命の役に立ちたいという想いを常に念頭に置いていれば、能力はドンドン開発されていく。
ただし、心構えとして大志を抱くのはいいが、論理的・具体的に実行できる範囲は決まっている。ただ自分の願望だけで、「あの人にも、この人にも役に立ちたい」と夢を膨らませても、相手が自分を必要としていないなら、かえって迷惑になる。役に立つとは、お互いの関係性の上に成り立つもの。その人と私との間に関係性がなければ、役には立てない。関係がないことに悩む必要はないだろう。ブラジルのどこかに住むマリアさんの役に立つことはできなくても、自分の周りにいる加藤さんや鈴木さんになら、お茶を淹れてあげるとか、ペットボトルの水を渡すとか、具体的に役に立てることがある。現実には、このようなリミットがあることを理解しよう。これですべて解決する。
「私なんて、いなくてもいいんじゃない?」と悩むことも、「地球の裏側の人にまで役に立つ行為をしよう」と意気込むことも、歩ける人に車椅子を勧めるのと同じくらいバカらしい行為だ。こういうバカらしい妄想から抜け出すには、ただ普通に周りの人と調和して生きてみること。実はそれだけで、自分が何らかの形ですでに誰かの役に立っていることに気づくはず。自分が何者でもない場合は、いつでも人のことを親切に考えられる。他人にやってあげなくてはいけないことを、いとも簡単にできるのは、自我のない人なのだ。「私は何者でもない。何の立場もない」という状態でいると、人のためになることは何でもできる。エゴさえ捨てれば、周りと仲良くできるのだ。