2021/10/04 05:41
仏教について多くを学び、知識をかき集めても、それだけでは仏教の本質は掴めない。仏教は、生の空しさを乗り越えるための教え。一切の現象が空しいものであること(空性)を発見するまで、自らの心を清らかにし、人格を向上させる道だ。
世間は知識人を評価するが、仏教は、知識の多寡を評価しない。学んだ知識を日常生活の中で応用してみよう。悩み苦しみなく生きられることを体験する。現実の生活からフィードバックを受けて、釈尊の教えは確実に効果的だ、確かに真理だと自ら発見する。それが仏陀という師匠に深い尊敬の念を持つ結果になる。
具体的な実践の方法として、次の4つが推奨されている。
① 三宝(仏法僧)の徳を念じる
② 慈悲を念じる
③ 身体の不浄を観察する
④ 死を観察する
4つの実践のエッセンスは、パーリ語でコンパクトにまとめられている。日々実践して「人生の在り方」(approach of Life)にすれば、精神的な落ち着きと安らぎを確実に得られる。
1① Namāmi buddhaṃ guṇa sāgarantaṃ
大海の如き大徳者である、仏陀に礼拝いたします
② Sattā sadā hontu sukhī averā
生きとし生けるものが、幸福・安穏で暮らせますように
③ Kāyo jiguccho sakalo dugandho
この体は厭わしい、身の毛もよだつ、悪臭のする汚物です
④ Gacchanti sabbe maraṇaṃ ahañ'ca
すべての生命が死にいくように、私も必ず死すべき存在です
2① Namami Dhammaṃ sugatena desitaṃ
善逝(世尊)の説かれた法に礼拝いたします
② Sattā sadā hontu sukhī averā
生きとし生けるものが、幸福・安穏で暮らせますように
③ Kāyo jiguccho sakalo dugandho
この体は厭わしい、身の毛もよだつ、悪臭のする汚物です
④ Gacchanti sabbe maraṇaṃ ahañ'ca
すべての生命が死にいくように、私も必ず死すべき存在です
3① Namāmi Saṅghaṃ muṇirāja sāvakaṃ
牟尼王(世尊)の弟子たる僧団に礼拝いたします
② Sattā sadā hontu sukhī averā
生きとし生けるものが、幸福・安穏で暮らせますように
③ Kāyo jiguccho sakalo dugandho
この体は厭わしい、身の毛もよだつ、悪臭のする汚物です
④ Gacchanti sabbe maraṇaṃ ahañ'ca
すべての生命が死にいくように、私も必ず死すべき存在です
自分の生き方そのものを慈しみにすれば、何をしても善行為になる。清らかな慈しみの衝動を生きるモットーにすれば、いつでも善行為ができる。善行為は幸せをもたらす。身体の不浄を観察し、死を観察して、自他の身体に対する執着から離れられれば、悪行為を行わずに済む。
智慧は実践によって生じる。実践しない人は、智慧の道から堕落してしまう。「知識のみの道」と「実践を備えた道」という二つを区別しよう。知識のみの道は、破壊の道。実践を備えた道は、智慧を完成する道。仏教を学ぶなら、智慧を完成する道を選ぶべきだろう。
知識は抗がん剤のようなもの。なくてはならないが、本当は身体にとっては猛毒なのだ。抗がん剤に頼りつつ、厳密に注意しながら、がんを治すべき。知識は両刃の剣。仏教に関する知識は欠かせないが、解脱の道を閉ざす悪魔からの贈り物にしてはならない。仏道は、知識をかき集める道ではなく、実践によって空性を悟る道だ。