【ブッダの神髄を伝える】

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2021/10/07 08:43


チームで仕事をするとき、能力の低いメンバーにイライラしてしまう。仕事の出来が悪いメンバーに「なんで、こんなこともできないんだ!」と怒鳴ってしまう。よくある仕事の悩み。一人きりで仕事している人は稀だから、他人との能力差に悩まされてしまうのは不可避。実際に自分の職場を想像してみれば、邪魔ばかりする人、足を引っ張る人の顔が一つや二つ思い浮かぶだろう。

しかし、ここが考えどころだ。能力の低い人にイライラしてしまう気持ちはわかる。だけど、ちょっと視点を変えてみると、この瞬間がまさに「人の役に立てる場面」ではないだろうか。「仕事とは、社会のためにやるもの」「人の役に立つこと」という大前提を思い出そう。本来、そこに私の好き嫌いは介在しない。相手がいて、その相手のために何かをする。迷っている人がいれば教えてあげる。困っている人がいれば助けてあげる。これが仕事を楽しみ、喜びを感じる王道パターンだ。

「仕事とは、社会のためにやるもの」という前提に立ち返ると、「私の能力を社会が買ってくれるかどうか」「社会から求められるかどうか」が、仕事として成立するか否かの分かれ目になる。「仕事がつまらない」「周りに有能な人材がいない」と文句を言う人ほど、自分の都合や希望を周囲に求めるばかりで、「人の役に立つ、社会の求めに応じる」という大前提を忘れている。あるいは「人の役に立ちたい」と口では言いながら、本音では「自分の好きなやり方で」人の役に立ちたいと考えている。つまりは自分本位で働いているにすぎない。

「アイツのせいで仕事が思うように進まない」と愚痴をこぼすのは、裏を返せば、「オレは誰にも邪魔されずに、自分の思うとおりに仕事を進めたいんだ!」と自らのワガママぶりを大声で周囲に公表しているようなもの。そんな自分本位の発想は、根本的に間違っている。仕事は、社会との関係性の中で発生するもの。みんなが自分のやりたいようにやって、世の中がうまく回るだろうか? 好むと好まざるとに関係なく、必要とされる仕事をするからこそ、世の中はうまく回っていく。

もともと仕事をするからには、「何をすれば人の役に立つのか」「社会は私に何を求めているのか」を考えて行動することが当たり前。私がやりたいことを、やりたいようにするのではなく、「周りや社会が、やってほしいと思っていること」をやる。「私はああしたい、こうしたい」という好みとは関係なく、人の役に立つことをする。これが仕事の大原則。その目的が達成されたとき、周りは喜び、私も「人の役に立てた」「感謝された」「喜んでもらえた」という満足感が得られる。報酬も受け取れるだろう。まさにそれが仕事の愉しみ。周りにアレコレ文句を言うのは、「仕事の本質」がわかっていない証拠なのだ。


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