【ブッダの神髄を伝える】

BLOG

2021/10/21 10:07


人を叱るのは、とても難しい。叱るときは、どうしても「ここがダメ」「あれが良くない」「なぜ、こんな失敗をしたんだ!」と、相手の問題点・欠点ばかりに意識が行ってしまう。「叱る=相手の悪いところを正す」という発想に覆われていて、相手の間違いを正そうとする私の心は、怒りで汚れている。相手の心も汚れている。臭いものを臭いもので拭いても、良い香りになるより、さらに悪臭を放つだろう。
 
私が怒っているとき、相手を軽視する気持ち、見下す気持ちになっている。相手の人格・尊厳を侮辱する言葉が簡単に口から出てしまう。相手の欠点を正すというのは建前で、自分の心を怒りで汚している上に、他の生命の尊厳を壊すようなことまでしている。どちらがより重い悪を犯しているのかわからなくなる。
 
生命は平等なので、誰にも他の生命の尊厳を侮辱する権利はない。「殺生、盗み、邪淫、嘘、噂、粗悪語」が罪になるのは、相手の命の尊厳を軽視したり、侮辱したり、見下したり、壊したりするから。自分の人格を「平等」の立場から降下させるから。そこは叱る側が工夫しなければならない、とても大事なポイントになる。

本来、人は自分の長所を生かして何かを達成するもの。達成するレベルは人それぞれ違っても、自分の長所を生かせば、必ず何かは実る。事務の仕事が得意な人は、マジメに仕事をすれば、抜け漏れのない正確な事務作業ができる。ところが、どんな人にも欠点があって、その欠点のせいで、達成できるはずのものが達成できないという状況に陥る。事務作業は得意なのに、職場の人間関係をこじらせて、チームワークを壊したりする。

そこで「叱る」という行為が登場する。ただし、「なんで仲間と協力できないんだ!」「チームワークを壊したら意味ないだろう!」と頭ごなしに叱ったところで、私の心が汚れるだけで、相手にはまったく届かない。何よりもまず、次の仕組み(関係性)を教える必要がある。

➊「あなたには〇〇という長所がある」
➋「その長所を生かせば、こんな実りが得られる」
➌「なのに今、実りが得られていない」
➍「どうして得られていないのか?」
➎「理由は、◆◆という問題があるからだ」

これが「叱る」というもの。構造をみればわかるとおり、まず相手の長所を伝えなければならない。「あなたは事務が得意で、正確な事務作業ができる」「それを多くの人が必要としていて、あなたを頼りにしている」という事実を相手に伝えるのだ。

そうやって長所を伝えられた相手は、「そうか、私の長所を認めてもらっているんだ」と喜び、「信頼を失いたくない」とモチベーションも上がり、「きちんと仕事しなければ」と責任感も芽生える。ここで初めて、あなたの言う「なぜ、その長所が実らないのか」という話が聞きたくなる。相手は、あなたの話に周波数を合わせ、受信する態勢が整う。

ぜひとも「叱るとは、どういう行為なのか」という構造をしっかり理解した上で、行動に移ることをお勧めする。「叱る」とは、「なぜ、あなたの長所が実らないのか」を伝える行為。叱られる側に「親切に教えてもらった」と喜んでもらうことなのだ。


BLOGトップへ
ページトップへ
Copyright © 心を育てる本屋さん. All Rights Reserved.