【ブッダの神髄を伝える】

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2021/10/25 19:08


私たちは、なぜ学ぶのだろう? 答えは簡単。学ばないと、生きていけないからだ。

生きること=学ぶこと

もし、私たちが生まれてから何も学ばなかったら、まともに生きていけるだろうか。100%不可能だろう。学ぶことなしには、食べることも、歩くことも、人と会話することも、本を読むこともできない。生まれたばかりの赤ん坊は、猛烈な勢いで勝手にどんどん学んでいく。それが生きることだから。私たちは、生きるために学ぶ。さらに言えば、より良く生きるために学んでいるわけだ。

生きるとは、すなわち学ぶこと。「好き嫌い」の話ではない。学ぶ意識が高い人は、より良く生きていける。言語を学ばずに人と会話できないより、言葉を使って誰とでも自在にコミュニケーションできた方が人生は豊かになる。明らかな事実。どんな仕事をしていても、どんな生活をしていても、学ぶ意識の高い人生は豊かになっていくし、学ぶ意識の低い人生は堕落していく。「学ぼうという意欲」「学ばなければ生きていけないという切迫感」を失ってしまったら、その命はどんどん堕落してしまう。学ぶのをやめることは、生きるのをやめること。それくらい、生きる上で学びは大事なもの。

「学ぶ」とは、ただ知識を覚えるだけではない。会う人会う人が、私に何かを教えてくれる。私の陰口を言う人も、足を引っ張る人も、苦しみをもたらす人も、何かを教えている。猫を飼ったら、猫もいろんなことを教えてくれる。猫は自分の好き勝手に生きて、何も指図しないが、その中からも学ぶことはある。猫が教えてくれることと、同僚が教えてくれることは、もちろん全然違う。

学ぶこと=楽しむこと

そして学ぶことは、元来、楽しいもの。赤ん坊や幼い子供たちは、日々たくさんのことを楽しそうに学びながら成長していく。「生きること=学ぶこと=楽しむこと」という構図が自然に成立している。だからこそ、子供たちは今日より明日の方がより良い生き方ができるし、今年より来年の方が人間として成長している。

では、大人はどうか? 人間として楽しく学び、成長しているだろうか。子供の頃はあんなに学ぶことが楽しかったのに、大人になるにつれ「学ぶ=つらいこと」に変わっていく。当然ながら、学ぶ意識はどんどん下がってしまう。「学校を卒業したら、もう学ばなくていい」とでも思っているのだろうか。そんなことは絶対にあり得ない。生きている限り、一生学び続ける。それが、人間の本来のあり方だ。

インドの物語

インドには、学びの大切さを伝える有名なエピソードがある。

あるところに、とても勉強熱心な男がいた。どんな内容も一回で覚えてしまう、すごい才能の持主だった。才能に恵まれ、学ぶ意欲も旺盛だったので、やがて世の中の学問という学問をすべて学び終えてしまった。学びたいのに学ぶことがない。彼は心の底から不幸だった。そんなとき、ある先生に出会う。話してみると、自分が知らない何か恐ろしい呪文を知っている。「私に教えてください。ぜひ弟子にしてください」と頼み込んだ。ところが「いくら頼まれても、人には教えられない。これは私が特別に扱っている知識で、人に与えることは無理だ」と、むげに断られた。

もちろん男はあきらめない。何回断られても、お願いを続けた。するとあるとき先生は、「この呪文は、聞いた相手がその場で死んでしまう恐ろしい呪文だ。それでも学ぶつもりはあるか?」と尋ねた。学ぶことが何より大事だと思っていた男はひるまず、「私は、生きることより学ぶことが大事だと思っています。死ぬ瞬間まで勉強したいので、教えてください」と懇願した。ついに根負けした先生は、教えることを承諾する。そして墓地へ行って、男に大きな穴を掘らせた。「掘りました」「じゃあ穴の前に立って」。穴の向こう側から、新しい呪文を教えてあげる先生。呪文が身に付いた瞬間、男はパタリと穴の中に倒れ、そのまま息絶えてしまった。

これで物語は終わる。それほどまでに学ぶことは大切なのだという教訓が込められている。たしかに、男の向学心は異常かもしれない。命を賭けてまで学ぶことが正しいとは言えないが、私たちが一生学び続けなければならないのは、紛れもない事実。学びとは、私たちの人生にピッタリと寄り添っているもの。Life is a school. つまり人生とは、死ぬまで学校なのだ。


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