2021/10/26 22:32
「足かせ、束縛の多い人間は、死神・悪魔の『獲物』になってしまう」と仏陀は説く。動物が狩人の罠にかかる。罠にかかってしまえば、狩人の思うがまま。やりたい放題にされ、殺されて食べられてしまう。
私たちの心は、今まさに強烈に束縛されている。もっとも大きな束縛が「無知」。病気を治す方法を知らなければ、医者のところへ行って、言うことを聞くしかない。医者が病気を治す方法を知っている場合は問題ないが、治療法を知らない場合は、大変なことになる。小さい子供は世の中について知らないことが多いので、先生や親の思うがままになってしまう。無知の束縛とはそんなもの。「無知」「物事がわからない」ということは一番強烈な束縛なのだ。
病気について知らないとき、正しい治療法を知る医者に束縛されることは別に気にしなくていい。では、「人生」を知らない場合はどうなるだろう?
私たちは、本当は万物のあり方も、生命のあり方も、自分自身のことも、周りの世界のこともよくわかっていない。だから知らない国を訪れた外国人のように、どこにも行けず強烈に束縛されている。科学者も頑張っているが、科学の考え方は実存的ではないので、「どう生きるか」には役に立たない。社会を見れば、「無知の束縛」によってあらゆる苦しみが生まれている。私たちは自由ではない、ということを理解した方がいい。
仏陀は、因縁の考え方をもって、人が束縛から自由になる方法を説く。悪口によって怒りが現れた場合、怒りの原因となった「音」は無常。それなのに結果は無常でない。悪口を一瞬聞いただけで、一週間、一ヶ月、ときには一年、あるいは一生、恨みを抱き続ける人間は世の中に大勢いる。夫婦や親友が、たった一言で永遠の別れに至ることもある。因果関係から考えると、本当におかしな話なのだ。言葉は一瞬で消えるから、結果として怒りが生まれても、それは瞬間しか存在しないはずなのに。
原因が無常なら、結果も無常だ。原因が無常なのに、結果が永久的になるはずがない。スイッチを入れたら、電灯が光を放つ。スイッチを切れば、光は消える。電気がなければ、光もない。誰かの一言によってずっと怒りを持ち続ける人は、スイッチが入って光が現れたが、スイッチが切れても光がずっと残っているようなもの。原因は一瞬で消えたのに、結果だけが延々と続いていく。
何がそうさせたのか? 心の中で怒り・恨みの感情が自分勝手に働いて、自己回転して怒りをつくり続けるのだ。無知によって怒りが増幅し、今度は怒りを原因にしてさらなる怒りが生まれる。結果となった怒りをまた原因にして怒りをつくるという悪循環。そのことを理解して、怒りを収めるべきだ。
万物は、すべて無常。私を束縛するものの原因は、無常であり、一瞬のものでしかない現象であることに気づこう。この束縛も永久のものではない、不滅のものではないと知って、鎖のように強い束縛を破るべき、という教えが仏陀の説いた「因縁」の教えなのだ。